バカンス中はストレスがないから
『家に帰ったらあれしてみよう!
次は違うことを勉強しようっと!
食事もこだわろう!
ジムももっと行くぞ!
あんな絵も描いてみよう!』
というように生き生きとやる気に満ちちゃうわけですが
いざ普通の日が始まって外に出て熱気にやられてしまっては簡単にやる気は弱まり
『今年後半、長いなぁ〜』なんて息切れしちゃったりする。
いったい私のやる気はいつ実行されるのだろう、と自分でも
『私はろくな大人にならなかったな』と変な感心をする。なんとも贅沢な腐り方でしょう?
ところで、夏休みが終わると、学校でのいじめを苦に自殺する子供のニュースを見る。
なかには夏休みの宿題を苦にする子供もいるようで胸が引き裂かれる。
前にも書きましたが、大人になって子供時代を思うと、子供時代というのは実に『地獄』だと思う。
見方によっては…。
食事は人が決めた時間に、人が決めたものを、人が決めた分食べ、
起きる時間も眠る時間も暗黙のルールのなか過ごす。
そして、朝から昼過ぎまでみっちりとあらゆる教科の授業を受ける。
たとえ嫌いな教科であっても、たとえ嫌いな先生であっても。
夏休みなのに早起きのラジオ体操なんてナンセンスも平気でやらされる。
そして、嫌で休めばサボリ、ズル、となじられ、単位制の学校であれば卒業は危ぶまれる。
これにいじめが足されたらどうだろう。
想像は簡単、そんなの拷問です。
死にたいほど苦しんでまで行く必要ない、学校なんて。
母と姉と 幸せ時代
わたしをご存知の方なら簡単に想像できると思いますが
例にもれず、わたしもコンスタントにいじめられておりました。
理由は時によって様々ではありますが、
人と違うことをしてしまいがちで目立つことが主な原因だったのかもしれません。
ぶりっこ、とも言われました。(今思えばこの愛おしい死語ですが、わたしにはナイフのようにつき刺さる言葉)
仲のいい幼馴染の男の子がなんとモテ男子で、クラスの半数の女の子がこの子を好きで、
はい、もちろんお馴染みの『仲間はずれ』にあったのでした。
突然男子に暴力を振るわれることもありました。(男子にはやりかえしましたが)
学校なんて心の底から行きたくなかった。
ただ、です。
わたしの父とされる人は無職でアル中、暴力男。
学校が辛くても、家にいるという選択肢はわたしにはありませんでした。ザ•二重苦です。
父の暴力で眠れず必死で母を守る夜中、
朝が来てはいやいや学校、放課後怯えながらなくなく帰るのです。
18歳で大学進学を口実に家から逃げ出すまで、
ずっと死にたかった。
でも、勇気がなくて死ねなかった。
今思えば、よく生きたな、と思います。
この通りろくな人間に育たなかったけれど、
大人になって、こうして好きなものを好きな時間に食べ、
眠りたい時間に眠り、ベッドの上でお菓子も食べても夜中にカップラーメンを食べても(実際は食べません)誰にも怒られない。
もちろんいつの時代も嫌な奴は存在するけれど、
会いたくない人はなるべく避けて、やりたくないことも(ほぼ)しない。
興味のあることは勉強して、ないことはスルー。
大切な友達も数人はいます。
たまに旅行することができれば、この上なく幸福です。大人って楽しい!
最低限の生活出来るお金と健康があって、大人としての責任さえとれれば、
この平和な日本では大人はとても自由なのだ。
いづれこんなにいいかげんな大人の日常が来ることがわかっていれば、
あの時のわたしに言って楽にしてやりたい。
『とりあえず大人になるまでやり過ごせ!』
結論、いじめられっこ達は、話のわかりそうな大人を見つけて辛い状況から逃げ、なんとなくやり過ごす。これにつきるのではないだろうか。死ぬことない。
いじめなんて死ぬほどの苦しみを持つ価値のないもの。
いじめなんて暇な人間のすること。
ダサいことに気づいてないんだよ。
ささっと逃げて大人になるまでの好きなように時間を潰せば最悪のパートは終わる。
社会に出てお金を稼げたら、もうこっちのものさ!←im strugling here.それが難しいんだけどw
ちなみに自慢ではないけれど夏休みの宿題なんて9月1日に終わっていたことなどない。
8月15日の登校日以前に手をつけたことは数回しかない。
心のどこかで『怒られれば済むこと』として処理していたように思う。
これはさすがに問題かな(笑)